エッセイ

エッセイ · 31.12.2010
北大路魯山人の個展を、初めて見たのは20歳頃だった。デパートの展覧会場だろう。大きなうつわに咲く、大胆な椿の絵柄。的を射た、とでもいいたいような美しい形の小皿。どの作品にも、優れた審美眼が伺える。伝記を読んでみると、その孤独な生い立ち、そして天性の審美眼から形成された強情で強烈な人柄が描かれていた。先日ひさしぶりに、何必館・京都現代美術館を訪れた。ここには常設の「北大路魯山人作品室」がある。例の椿のうつわも変わらず迎えてくれた。壁にあった魯山人の言葉を、友人に伝えたいと思った。 この世の中を少しずつでも美しくして行きたい。私の仕事は、そのささやかな表れである。人間なんで修行するのも同じことだろうが自分の好きな道で修行できるくらいありがたいことはない人はいつ死んでもよいのである。人はこの世に生まれて来て、どれだけの仕事をしなければならぬときまったわけのものではない。 たとえ周囲との摩擦が起き、強情と思われても、自分の信念を貫いた魯山人。その人生は生きにくいものだったのかもしれない。魯山人がその生きかたを保てた理由がこれらの言葉に現われているのではないか。それに、最後の一文で魯山人の大きな優しさに触れたような気がした。
エッセイ · 18.12.2009
美術の執筆や翻訳の仕事で、画家の人生を綴ることが多い。  長い伝記の翻訳をするときには、数か月、その画家と共に生きる。 大学時代、アメリカの女性画家、ジョージア・オキーフの伝記を読んだ。 以来、憧れの画家で、あるとき一人旅でオキーフの家に行った。 安い航空券をとったので、3つの飛行機を乗り継いだ。...

エッセイ · 11.06.2008
十年来、大ブームの江戸時代の天才絵師、伊藤若冲。生まれ育った京都の台所「錦市場」を散歩した。 日没過ぎの錦市場。390メートル続くアーケードは、若冲一色。この市場のどのあたりに、若冲が若旦那として切り盛りした青物問屋があったのだろう。...
エッセイ · 20.04.2006
2002年夏。 ロンドンの美術大学に入学許可を得て渡英し、 サウスロンドンの学生寮に入った。 同じ寮で出会った韓国からの留学生に、 毎週、ポートベローマーケットに出店していると聞く。 「来週は自分は行けないから、代わりに場所を使っていいよ」 雑貨屋さん、それとも本屋さんだったか。 お店の前の路上を使わせてもらっているという。...

エッセイ · 20.01.2006
大学生のとき、絵本作家になりたかった。 絵本の編集者のかたから真っ白の束見本をいただき、 そこに絵を描いては、見ていただいていた。 あるときなぜだか、 走る馬のしっぽをつかんでいる 赤いワンピースを着た女の子の絵が浮かんできて、 まだ真っ白のままの絵本の、一番最後のページに描いた。...