在ハワイのデザイナーかおりこさんのファッションブランドLittle Eagleのアイテムに墨絵を描きました。
'Little Eagle', a Hawaii-based Japanese fashion brand, is exhibiting dresses and scarves with my Sumie paintings as a part of their 2018 SS collection.
5/16‐21 大阪・大丸ミュージアム(大丸梅田)風水土のしつらい展
ほか巡回
在ハワイの日本人デザイナーかおりこさんのファッションブランドLittle Eagleに墨絵を描きました。
'Little Eagle', a Hawaii-based Japanese fashion brand, is exhibiting dresses and scarves with my Sumie paintings as a part of their 2017 SS collection.
Little Eagle Little Eagleの全国各地の展示会
5/17‐22 大阪・大丸ミュージアム(大丸梅田)風水土のしつらい展
6/23‐6/28 東京・スローギャラリー(cafe slow)
ほか全国各地の会場▶
ドレスメーカー学院の産学提携プロジェクト(スギノエプロン)に墨絵で協力 @ParcoのクラウドファンディングBooster
北大路魯山人の個展を、初めて見たのは20歳頃だった。デパートの展覧会場だろう。大きなうつわに咲く、大胆な椿の絵柄。的を射た、とでもいいたいような美しい形の小皿。どの作品にも、優れた審美眼が伺える。伝記を読んでみると、その孤独な生い立ち、そして天性の審美眼から形成された強情で強烈な人柄が描かれていた。先日ひさしぶりに、何必館・京都現代美術館を訪れた。ここには常設の「北大路魯山人作品室」がある。例の椿のうつわも変わらず迎えてくれた。壁にあった魯山人の言葉を、友人に伝えたいと思った。
この世の中を少しずつでも美しくして行きたい。私の仕事は、そのささやかな表れである。人間なんで修行するのも同じことだろうが自分の好きな道で修行できるくらいありがたいことはない人はいつ死んでもよいのである。人はこの世に生まれて来て、どれだけの仕事をしなければならぬときまったわけのものではない。
たとえ周囲との摩擦が起き、強情と思われても、自分の信念を貫いた魯山人。その人生は生きにくいものだったのかもしれない。魯山人がその生きかたを保てた理由がこれらの言葉に現われているのではないか。それに、最後の一文で魯山人の大きな優しさに触れたような気がした。
美術の執筆や翻訳の仕事で、画家の人生を綴ることが多い。
長い伝記の翻訳をするときには、数か月、その画家と共に生きる。
大学時代、アメリカの女性画家、ジョージア・オキーフの伝記を読んだ。
以来、憧れの画家で、あるとき一人旅でオキーフの家に行った。
安い航空券をとったので、3つの飛行機を乗り継いだ。
成田からアメリカ、シアトルへ、乗り換えてソルトレイクへ、そしてようやくニュー・メキシコ州、アルバカーキへ。
移動中、脱水症状をおこして体調が悪くなった。
そのおかげで、この旅はまるごと、夢かうつつか、霞がかかったように脳内に残っている。
サンタフェは優しいベージュやピンク色の街。土壁の色だ。
売店には、鮮やかなトルコ石や煌めく天然石、素朴な木の十字架が並んでいた。
木陰にテーブルが並ぶカフェで、メキシコ料理のタコスを頬張る人々。
サンタフェから車に乗り、荒野へでると、そこはアンセル・アダムスの写真で見た世界。
切り立つ土の断崖。赤土の層が美しい。景色はどこまでも広がっている。
現地の人によれば、車で荒野を走っていると、ずっと先に雨が降る様子が見えることもあるという。
それほどの広さだ。
ゴーストランチでは、現地のツアーに参加した。オキーフの暮らした家に入ることができる。
一面ガラス張りの寝室からは、彼女が絵にした渓谷が遠くに見えた。
清潔な台所には、ところせましとハーブの瓶が並ぶ。
家の外壁には、角のある動物の頭蓋骨。
オキーフの絵の常連モチーフで、夫スティーグリッツの写真では彼女の傍らに写る、あの頭蓋骨だ。
オキーフは荒野を歩いてこうしたスカルを拾い、持ち帰って描いたという。
憧れる。私は荒野では見つけられなかった。あたりまえだけれど。
土産物屋で買おうか逡巡したが、自分の部屋にはスペースがないことにようやく思い及んだ。
十年来、大ブームの江戸時代の天才絵師、伊藤若冲。生まれ育った京都の台所「錦市場」を散歩した。
日没過ぎの錦市場。390メートル続くアーケードは、若冲一色。この市場のどのあたりに、若冲が若旦那として切り盛りした青物問屋があったのだろう。
家業を継いだのは23歳。そして40歳の時、弟に店を譲り、絵に専念した。各店の閉まったシャッターに、若冲の有名な絵が印刷されている。
この青い絵のホンモノは、『鳥獣花木図屏風』。アメリカの大コレクター、エツコ&ジョー・プライス夫妻のもとにある。ジョー・プライス氏は、若い頃、若冲が初期に描いた葡萄の水墨画に出会った。この青い屏風は、2006年、東京国立博物館ほかで行われた「プライスコレクション 若冲と江戸絵画展」にも海を渡って出展された。
私はこの展覧会に仕事で関わり、それが若冲との衝撃の出会いだった。この屏風は、18世紀の同時代に類を見ない、不思議な表現技法が特徴だ。画面全体が、1センチ角の枡目にわけられて、色が塗られている。まるで、モザイクタイルの壁や、デジタル画のよう… 桝目描き(ますめがき)と呼ばれている。
若冲はこのアイディアをどこで思いついたのだろう。織物を作るときの図案とも、朝鮮半島の工芸品「紙織画」とも言われている。美的センスがずば抜けていた若冲。どのような着物をまとい、どのような工芸品に囲まれて生活していたのか。そしてどんな気分で、この市場を闊歩していたのだろうか。
2002年夏。
ロンドンの美術大学に入学許可を得て渡英し、
サウスロンドンの学生寮に入った。
同じ寮で出会った韓国からの留学生に、
毎週、ポートベローマーケットに出店していると聞く。
「来週は自分は行けないから、代わりに場所を使っていいよ」
雑貨屋さん、それとも本屋さんだったか。
お店の前の路上を使わせてもらっているという。
ロンドンはなんて芸術に温かい街なんだろう。
次の週。晴天だった。
お店の前の路上に、硯、筆、墨、Tシャツをひろげた。
Tシャツにライブペイントをしていると、
通りすがりの人が声をかけてくれる。
5歳くらいのかわいいロンドン子が興味津々に近づいてきた。
「一緒に描く?」
少女も一緒に墨絵を描いた。
向こうから、その子のパパがやってきた。
「僕の奥さんが近くでセレクトショップをしているから、
あとで、君の作品をもってきたら?」
次の週、そのお店の店内でライブペイントをしていたら
日本から来たバイヤーさんと出会った。
こうして、ブランドをはじめることになった。
大学生のとき、絵本作家になりたかった。
絵本の編集者のかたから真っ白の束見本をいただき、
そこに絵を描いては、見ていただいていた。
あるときなぜだか、
走る馬のしっぽをつかんでいる
赤いワンピースを着た女の子の絵が浮かんできて、
まだ真っ白のままの絵本の、一番最後のページに描いた。
それから、絵本をつくったけれど、そこには馬は登場しなかった。
絵本のストーリーはこんな感じだった。
赤い女の子は、風船を持ってふわりと浮かび上がり、空を旅して
それから一軒の家の壁と屋根を息で吹き飛ばす。
ロンドンでブランドを始めて、やがて帰国してから
馬と女の子の絵を、ブランドのネームタグにした。
それから、3年ぐらい後だと思う。
ロンドン留学時代のお友達と、京都の英国風パブにいた。
その子のお友達の、スコットランド人の演奏家のライブだった。
そのかたの奥様に、作品集を見てもらった。
馬と女の子の絵をみたとき
「それじゃあなた、あのお話を知っているのね?」
といわれた。
なんのことだろう
後日、奥様から、資料が届いた。
スコットランド人の有名な詩人の長編詩に、
あの絵と同じ場面があった。
女の子は若い魔女だった。
時空を超えて、あのイメージが、私の頭の中に降りてきたのだったか。
何年も経て、自分が何を描いたのか、謎が解けるとは。