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北大路魯山人の言葉

北大路魯山人の個展を、初めて見たのは20歳頃だった。デパートの展覧会場だろう。大きなうつわに咲く、大胆な椿の絵柄。的を射た、とでもいいたいような美しい形の小皿。どの作品にも、優れた審美眼が伺える。伝記を読んでみると、その孤独な生い立ち、そして天性の審美眼から形成された強情で強烈な人柄が描かれていた。先日ひさしぶりに、何必館・京都現代美術館を訪れた。ここには常設の「北大路魯山人作品室」がある。例の椿のうつわも変わらず迎えてくれた。壁にあった魯山人の言葉を、友人に伝えたいと思った。

 

この世の中を少しずつでも美しくして行きたい。私の仕事は、そのささやかな表れである。人間なんで修行するのも同じことだろうが自分の好きな道で修行できるくらいありがたいことはない人はいつ死んでもよいのである。人はこの世に生まれて来て、どれだけの仕事をしなければならぬときまったわけのものではない。

 

たとえ周囲との摩擦が起き、強情と思われても、自分の信念を貫いた魯山人。その人生は生きにくいものだったのかもしれない。魯山人がその生きかたを保てた理由がこれらの言葉に現われているのではないか。それに、最後の一文で魯山人の大きな優しさに触れたような気がした。